街とその不確かな壁
母は昭和16年の生まれで、
中学卒の父とは対照的に、高校まで出ていて、
子供の頃から本を読むのが好きだったと聞いていた。
私が幼稚園に通う頃には、絵本などよく読ませてくれ、
私は自然に本を読むようになっていったようだ。
中学生の頃から、小説なども読み出し、
徐々に好きな作家なども増えていった。
19歳の時に出版されたばかりの村上春樹の
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読み、
以来、ずっと読んできている。
先日書き下ろしの新作の
「街とその不確かな壁」が出て、早速読んだ。
現実世界と異世界が描かれている、いつもの村上ワールドだ。
ある歴史学者の説によると、
人類が「意識」というものを持つようになったのは、
ほんの3000年前だそうだ。
その以前は、意識というものがなかった。
すべて神との心の交流の中で、日々生活を送る、
自意識のようなものをもつ必要はなく、すべて当たり前に習慣化された生活を深い悩みなどないまま、神と共に生きていた。
つまり3000年ほど前に、人類は自意識をもつようになり、
まるで自分で考えて生きるというような世界観に変容していった。
まあ、そういうことなのかもしれないけど、
自意識を持ってしまった故の、豊かさやしんどさもある。
芸術やアートの所業とは、自意識以前の人間が忘れてしまった豊かさをとり戻す営みと言えるかもしれない。
そこで、村上春樹だが、彼の小説も、だいたい意識下の世界や、
異世界が描かれる。
あるいは、彼は、意識ー潜在意識の境界線を描く作家だと思う。
どうも人類の豊かさの源泉は、意識=文明側よりも、非意識=神の領域にあるようで、村上春樹も当然、そこへアプローチしていく芸術家なのだ。
そのどうも下意識のようなものを我々は抱えていると薄々はわかる。しかし、それを表現することは難しい。
そして下意識の領域を包含できていないと感じるものは、だいたいつまらない=貧しいものである。
村上春樹は、その乗り越えを、物語の力を信じることと、作家として文体の力を高めることで、成し遂げようと格闘してきた作家だと思う。
だから、私たちは、彼の小説を読むことで、歴史以前の何かに触れることができるという価値を感じる。
新作の「街とその不確かな壁」もまさにそういう作品なのだと思う。